近代化などについて勉強した

農村部では、交通・通信の未発達から生活様式はあまりかわらず、暦にしても農作業との関連から太陽暦とならんで旧暦が依然として用いられていました。長野県中部にある読書発電所は第一次世界大戦前後、電気化学工業が飛躍的に発展しましたが電力王とよばれた実業家福沢桃介が木曽川流域の水力発電の開発をすすめるなか、1923年につくりました。完成当時、日本最大の4万700キロワットを発電し、大阪までの長距離送電に成功した歴史を持ちますが、いまだ現役です。近年は近代化遺産として国の重要文化財となりました。近代化遺産とは、文化財の一分野として近年新たに設けられたもので、日本の近代化を担った土木・交通・産業関係の建造物です。土木関係では港湾施設・灯台・運河・ダムなど、交通では駅・トンネル・橋など、産業では鉱山・製鉄所・各種工場などがあります。このような近代化遺産は全国各地に残っており、身のまわりを注意深く見わたせば、容易に見出だせるはずです。奈良県の正倉院は「シルクロードの終着駅」ともよばれ、唐からアラビアにいたる東西文化交流の宝庫といわれます。中国だけでなく西アジア諸国の文物も伝来し1200年もの間、宝物として保管されてきました。また、諸外国ではすでに失われた文化財も数多く伝来し、毎年「文化の日」前後に奈良国立博物館で開催される「正倉院展」には国内ばかりでなく、世界各地からたくさんの人びとが見学にやってきます。

唐揚げを食べたりした

唐揚げと白ごはんを食べました。唐揚げは、5個くらい食べました。冷凍食品の唐揚げだったので、電子レンジで温めてから食べました。そして、韓国のドラマを見ました。今回は15話を見ました。次回も楽しみです。そして、19時前から放送されているバラエティー番組を見ました。最初は、世界の衝撃映像をやっていました。次は、中国についてやっていました。実際に中国に行っていました。衝撃的なこともありました。最初は犬にについてやっていました。犬にカラーリングしている人もいました。次は、ビールについてやっていました。ビニール袋に入れてビールを売っているところもあるそうです。ラーメンをビニール袋に入れている人もいました。次は、デパートにある滑り台についてやっていました。滑り台が長いし、傾斜がすごくてびっくりしました。次は、中国のある工場に行っていました。棺桶は9割は日本ではなく、中国でつくられているそうです。初めて知りました。意外でした。次は、食べ物についてやっていました。メンマは中国でつくられているそうです。次は、アメリカについてやっていました。最初は、300mの透明の滑り台についてやっていました。実際に滑っていました。次は、ピザについてやっていました。すごく大きいピザが出ていました。次は、日本のチェーン店についてやっていました。アメリカは甘いものにもベーコンがのっているんだそうです。ベーコン味の歯磨き粉もあるそうです。次は、ルームサービスについてやっていました。届けるのはロボットが届けるんだそうです。

テレビを見たりしました

22時くらいから放送されているバラエティー番組を見ました。今回はゲストで女優さんなどが出ていました。最初は、ある人の実家に行っていました。プレゼントをしていました。その他にはさまざまなテーマについてトークをしていたり、マッサージを体験したりしていました。そして、勉強をしました。立法議会では共和政をめざすジロンド派が優勢となり、1792年春には政権をにぎってオーストリアに宣戦しました。オーストリア軍がプロイセン軍とともにフランスに侵入すると8月、パリ民衆や義勇兵らがたちあがり王権は停止され国王は監禁されました。1792年9月、新たに男性普通選挙による国民公会が招集され、王政の廃止と共和政が宣言され、93年にルイ16世は処刑されました。一方、フランス軍はヴァルミーの戦いでプロイセン軍に勝利をおさめ、勢いにのってベルギー地方を占領しました。こうした情勢に対してヨーロッパ諸国はイギリスのよびかけで第1回対仏大同盟を結び、フランス革命に干渉しました。このような危機に直面して国民を統合し、一体性を強めるための改革がすすめられ、ジャコバン派のロベスピエールを中心に革命裁判所や公安委員会に権力を集中して政敵を弾圧する恐怖政治をおこないながら、外国の干渉に対する戦争を続けました。

ドーナツを食べたりした

ドーナツを食べました。バナナケーキドーナツというのを食べました。半分だけ食べました。バナナの香りが結構しました。外側は砂糖がかかっていてサクサクしていました。そして、勉強をしました。ルイ16世の時代にはいり、政府は1789年に破産状態の財政を再建しようとして、長い間ひらかれていなかった三部会をひらきました。三部会では特権身分と第三身分の間で対立がおこり、第三身分は自分たちの議会を国民議会と称し、憲法が制定されるまで解散しないことを誓いました。これに対し、国王が軍隊を使って国民議会を解散しようとしたので、パリの民衆は同年7月14日、圧政の象徴とされたバスティーユ牢獄をおそいました。この事件をきっかけに全国的に農民の反乱がおこりました。8月、国民議会は封建的特権の廃止を宣言し、続いて人間の自由・平等、国民主権、言論の自由、私有財産制などをうたった「人間と市民の権利宣言」を採択しました。国民議会はその後は教会財産の没収、行政区画の再編や地方自治制度の改革などの諸改革をすすめました。1791年6月、国王一家が国外への逃亡をくわだてて失敗すると国王は国民の信頼を失いました。議会は91年9月、立憲君主政を定めた憲法を制定し、10月立法議会が招集されました。他方、オーストリアとプロイセンは共同でフランス国王の地位の回復を求める宣言を出し、革命をおさえようとしました。